こころのバリアフリーとアート
【ソーシャル・インクルージョンとアートとの出会い】
一人ひとりの違いを超えて仲間として認め合い、皆が自分らしく生きることのできる社会を目指す「こころのバリアフリー(専門用語ではソーシャル・インクルージョン、社会包摂)」の理念と、その実現に向けて“Using Art”「美術を使う」という発想に私が初めて出会ったのは、2005年の秋、イギリスにおいてでした。
イギリスは、文化的な活動に関心の高い人々も、家庭環境などのため文化的な活動に触れにくい人々も、美術教育を受けていない人々とも、アーティストやデザイナー、教育・医療・福祉の人々と一緒に活動しようというアートムーブメントが積極的に展開されています。社会から孤立し、社会とつながりにくい状況にある人たちを、もう一度社会につなぎ直して地域社会、国全体を再生しようとしています。この社会貢献を目的とした美術のあり方に私は、驚愕と感動を覚えました。
この波が、20年近い時を経て、ここ数年に日本にも届くようになりました。美術館など公共施設を、さまざまな目的を持ったワークショップ(=アート・アクティビティ)を通して、障害の有無、国籍などの背景を問わず、誰にでも開かれた社会的資源として活用される場にしようという動きが始まっています。
一見したところ、それは「皆でアート*をするという」シンプルな活動です。しかし、ソーシャル・インクルージョンの理念を参加者に伝えるには、緻密な観察力と対応力が求められます。アート・アクティビティが行われている最中に、参加したすべての人の間で行われたやり取りが大きく作用するからです。参加者一人ひとりにアート・アクティビティのポジティブな影響をもたらすために、主催者側は皆で協力し合って細心の注意を払います。
*ここでのアートとは、ビジュアルアート、デザイン、写真、音楽、演劇、詩、小説、メディアアートなど、幅広く捉えています。
【アートアクティビティの、こころを変化させる力】
参加者たちは皆でアートをする過程で、他者との関係を築くために必要な能力を身につけたり、好きなことや今後取り組みたいことを見つける機会を得ていきます。自分にはできないと思い込んでいたことにチャレンジできる方法を見つけたり、受け入れにくかった相手を理解したり、仲間をみつけるなど、より良く生きる(Well-being)きっかけをつかむかもしれません。この目には見えない「こころの変化」が、「こころのバリアフリー」を育てるタネになります。ソーシャル・インクルージョンの文脈におけるアートではこのタネも含めて「作品」と言えるのです。
2006年から2020年までイギリスと日本で大小合わせて400回、延べ1000人以上と共にアート・アクティビティを行ってきました。その経験から、どのようなこころの変化があったのか、参加者や主催者の声をいくつか紹介します。
慢性病を抱えているバーミンガムこども病院のティーンエイジ患者たち
病気のために運動が出来ず、高校のクラスメイトと一緒にスケートボードについての話題になると、寂しかった。今回、デザインをするという方法でスケートボードと関わり、クラスメイトと一緒に話ができそうで嬉しい。今まで自分だけがなぜこんな辛い病気に・・・と思っていたが、このアートアクティビティに参加して初めて同じような境遇の人と会い、友達になれました。なぜか、すぐ分かり合える気がしました。
ソーシャル・インクルージョン(多文化共生)について勉強会を開催している助産師と薬剤師、
海外からの研究生のグループ
今まで、多文化共生について言葉や制度といった切り口で何度も勉強会をしてきましたが、今日、みんなで一緒にアートアクティビティをして、勉強会のメンバーが初めてを楽しく話したことに気づきました。これをきっかけに、先週から参加しているアメリカと中国からの研究生とも親しくなれそうです。これこそがソーシャル・インクルージョンだと感じました。メンバー全員で、最後に記念写真を撮ろう!なんて盛り上がったのは、初めてです。
ある大学病院小児病棟の看護師と病院保育士
ベッドで安静にしていなくてはならない小学二年生の患者さんが、併設のプレイルームへ出かけて遊ぶことのできる3人の小学一年生の患者さんから仲間外れにされるようになってしまい、この2日間はどうしたらいいか本当に困っていたのです。それが2時間のアートアクティビティを終えた後に見に行ってみると、みんなで仲良く記念撮影をして、お互いがつくったものをプレゼントしあったりしていました。にこにこしながらおやつを食べていて、本当に驚きました。一年生の患者さんたちは二年生の患者さんが、ベッドに寝ていなくてはいけないことを、いつの間にか理解しているみたいですね。
アートで体を動かそう!世界がひっくり返る、
次世代ユニバーサルアートイベント『吹き出す!×フキダシ!』の参加者
美術の経験や、様々な障がいの有無・年齢・国籍に関係なくだれでも参加できるアートイベントとは、どんなだろう?と思って参加しました。予想していた絵を描いたり、HOW TOでモノづくりをするのではなく、みんなの力を合わせて作品をつくるプロセスで、それぞれが活躍して、発想や工夫に影響し合ったり、「すごい!」と認め合ったりする瞬間があることでした。「今、ここで」の出会いを大切にしたいと思わせるような経験で、それはまるで茶道に由来する 一期一会 をも思わせるものでした。
参照:https://www.youtube.com/watch?v=eGnADtN3noI
【気持ちを変化させる力を、これからの日本でどう活かすか】
いじめ、引きこもり、自殺、孤独死など現代の日本社会に蔓延する問題からは、自信や希望、目標、居場所を失い、疎外感を抱えた多くの人々の存在が透けてみえてきます。また、日本は失敗することに対してあまり寛容でない社会と言われます。
皆でアートをすることは、社会生活の一端をシュミレーションすることになるのではないか、言い換えるならば、参加者たちは実社会に出ていこうとするとき、または実社会において直面する様々な状況を、擬似的に体験できるのではないか、さらには困難な状況を乗り越える方法を自分なりに見つけたり、試してみたりできるのではないだろうかと、考えるようになりました。この美術のもつ新しい側面を活用するには、他者への「思いやり」「気遣い」を大切にする日本人の生活文化が欠かせません。今後さらに日本独自のソーシャル・インクルージョンと、またこの活動をアート分野として発展させることに取り組んでいきます。いままでは病院での活動が中心に行われてきましたが、今ではその需要は重度心身障害者施設に広がり、福祉大学や、教育関連、博物館からも要請を受けています。これからの日本で、芸術の分野にとどまらず、福祉の分野を通じて教育の分野はもちろん、広く一般に取り入れられていく可能性は充分に考えられます。
私は最初に感じた驚愕と感動とともに、この新しい美術の役割を皆さんに伝えていきます。そして将来、多くの可能性に満ちたこの若い分野をいっしょに育んでゆきましょう。
(ヒーリング表現領域准教授 野呂田理恵子)