「現代社会における癒しの意味」を考える。
ヒーリング表現領域1年の学生が「ヒーリング」をどのように捉え、
社会に対しての問題意識を持ち、提案していこうとしているのか、
「癒しの文化論」での問いかけに対して出された学生の考えを紹介します。
ヒーリング表現領域1年の学生が「ヒーリング」をどのように捉え、
社会に対しての問題意識を持ち、提案していこうとしているのか、
「癒しの文化論」での問いかけに対して出された学生の考えを紹介します。
- 問いかけ1
人が他者を癒すということは果たして本当に出来ることなのだろうか? - ヒーリング表現領域1年 Nさん人が他者を癒すことは可能だと思う。癒す対象の他者を理解し、どんな要素が必要なのかを考え、癒したいという思いを込めれば、きっと伝わると思う。
(そんな簡単にいくとは思いませんが・・・。)
実際、私自身が他者の作ったぬいぐるみや、絵などを見て癒されるし、癒される側と癒す側の気持ちが一致すれば、可能だと考える。
ヒーリング表現領域1年 Sさん私はできると思っています。方法しだいではないでしょうか。
他者を癒そうと考える上で私が思うのは「癒しを与える」といった考え方のように、一方的に押しつける「与える」では、癒すことはできないと思います。
他者を配慮したうえで、何がその人にとっての癒しになるかを考えたものならば、他者を癒すことも可能なのではないかと考えます。
ヒーリング表現領域 1年 Iさん感性に個人差は多少あれど、そこには共通するものがあると思う。
一緒に同じものを見て「いいな」と思える人がいるように、共有できる人がいるように、自分の中の「癒し」のイメージ(像)は他者にとっても「癒し」である可能性は、十分にあると思うので、人が他者を癒すことは可能であると思う。また、他者によって自分の新たな感性を発見できることもある。人が提供してくれた「癒し」を、自分も「癒し」だと感じたことがある。これも自分にとって癒しだったのだと。
ヒーリング表現領域1年 Oさん人が他者を癒すことはできると思います。人によって感じ方が違ってくるのは当然ですが、少しでも癒しを感じてもらえることは可能だと思います。
例えば、癒しを目的とした壁画を見たとして、見る前と、見た後では気持ちが違ってくると思います。
「すごく気持ちがすっきりした」という人もいれば、「まあまあかな」という人いるはずです。それでいいと思います。人が他者を癒すということは難しいことですが、他者のことを常に考え、癒したい、この環境、状況を変えたいという気持ちで制作等に取りかかれば、きっと癒しを感じる人がでてくると思います。
ヒーリング表現領域1年 Mさん癒しを感じるところは個人個人で違うかもしれませんが、同じ時代を生きていて、自然があったり、懐かしさを感じたり、どこかしら必ず癒しを共感できるところがあると思います。
それに、人が人のためを思って考えて動くこと自体が、他者を癒すことにもつながっていくのだと思います。 - 問いかけ2
芸術は人を癒すことが出来るのだろうか?癒しを目的とした芸術は必要とされるのだろうか? - ヒーリング表現領域1年 Tさんアートやデザインは人に受け入れられて始めて成り立つものだと思います。そして、人がアートとデザインに求める事は感動したり、心を動かされる作品だと思います。近年は、癒しを求めている方々が多いと思うので「様々な芸術表現により癒す」という事を世の中は自然に求めていると思います。 また、リラックスする、心をしずめる事により、ふっと良いアイディアが浮かんだり、問題の解決策を思い浮かんだりする事があるので、そのリラックスする、心をしずめるという事につながる手段として、芸術も人に必要とされるのではないかと思います。
ヒーリング表現領域1年 Tさんぬいぐるみやおもちゃなど、人を癒し、幸せな気分にさせる事を目的としたものは、やはり見ると可愛いと思ったり、ほっとした気持ちになる。相手がそれを見た時にプラスの気分になれるようにという気持ちで制作したものは、何らかの癒しの力が発生するのではないかと考えている。その、プラスの気持ちというのは、癒しと直接結びつくというわけでもなくても、自分が美しいと思ったものに共感する人はいるから、"共感"といった意味での精神的向上心というのも存在すると思う。 近年"癒し"というものが注目されているのは、ネット社会、国際社会において、個人の個性というものを重要視されにくくなった事が1つの原因だと考えている。そういった中で、自分と感性が一致する作品に出会う事で、人に安心感を与える事が出来ると思う。
ヒーリング表現領域1年 Tさん芸術は、人の心や感情など、目には見えないけれど、大切なところに直接働きかけることが出来る貴重な手段だと思うので必要だと思います。 また、自分がアートやデザインによって癒された経験もあり、今までヒーリングを目的とした芸術に救われたという意見を聞いたこともあるので、必要だと思います。
ヒーリング表現領域1年 Nさん芸術は人を癒すことが出来る、癒しを目的とした芸術は必要とされると思う。現代社会は正に癒しが必要な環境だと感じることは多々ある。いじめ、自殺、ストレス、社会・・・そんな中で、ふとした瞬間に絵や音楽などの芸術に少しでも触れて、パッと心が晴れる時はあるだろうし、私自身にもある。毎日、とても早く時間が過ぎていく時代なので、少し立ち止まってゆっくりするには、癒しを目的とした芸術は必要だと感じる。 - 問いかけ3
君たちは「ヒーリング」をどう捉え、創作活動や日常生活にどのように関わって行くことが出来ると考えているのか。その可能性について答えてほしい。 - ヒーリング表現領域1年 Oさん一言にヒーリングと言っても、10人いれば10通りのヒーリングの形があると思います。"癒し"というテーマにしばられているようで、実は最も自由のあるジャンルなんじゃないかと最近思います。そして、私が目指すヒーリングは、それを見ている間だけ、それまでごちゃごちゃ考えていたことが空っぽになるようなものをつくることです。
どんな素材を使うにせよ、自分の心だけは、ずっとおだやかな状態を保っていきたいなと思います。
ヒーリングは、とてもポジティブなものだと思います。日常生活の中でもネガティブよりポジティブでいた方が絶対うまくいくし、心身ともに豊かなはずです。なので、ヒーリングは制作活動の目的だけでなく、その過程や、日常生活とは、やはり切っても切れない関係なのではないでしょうか。
癒しただけでなく、人をポジティブに、前向きにさせる可能性を、これからも探していきたいと思っています。
ヒーリング表現領域1年 Tさんヒーリングという存在は、全ての人達にとって、優しく吹き込む風のようなものだと思う。モノの見方が180°変わるような影響力・支配力は決してないが、ほんのりとその人の心に響くようなイメージがある。 困っている人・苦しんでいる人達にとって、新たな道を自ら作る架け橋のような存在だと思っている。
そのヒーリングは、日常生活で自然と関わっていると考える。友達や家族と楽しく過ごす事、日常の何気ない事は、小さくても、ヒーリングとつながってくるのだと思う。これらに幸福を感じないくらいつらくなったり、落ち込んだりした時に、人はヒーリングを意識的に求め、各々行動し始めるのだと思う。
私自身、絵で救われた経験がある。その時に、つまらなかった日々に、"絵を描く"という楽しみが出来て、今ここにいる。
その時出会った事や起きた事が、自分にとって何を意味するのかを自ら思考し気が付く事が大切だと私は感じる。制作する上で、私は、人に何を伝えたいかを考え、見た人に何かを感じてもらえる工夫をする事が大切だと思う。
ヒーリング表現領域1年 Tさんヒーリングは、本当に広い意味があって、例えば友達と遊んでいる時など、日常の些細なことからも生まれ、普通に生活している中でも必要とされるものだし、もっと広く、医療の現場など社会の中でも必要とされることだと思います。
しかし、どんな場合でも、「ヒーリング」を目的としたアートを考えると、そこには必ず人と人との関わりが大切になっていると感じています。
制作活動や日常生活の中で、ヒーリングは、アートを通じたコミュニケーションを生みだし、様々な人に対して精神的にも身体的にもよい影響を与えることができると思います。
また、ヒーリングは、単純に絵を描いて癒すというだけではなく、音楽や食、空間など、色々な分野に存在しているので、これからは、生活に関わるすべてのことを、幅広い角度からヒーリングを考え、関わっていきたいと考えています。
ヒーリング表現領域1年 Nさん「ヒーリング」は、私はその場の空気や環境を変えることができる力を秘めているものだと思います。
目で視覚的に感じる点で言えば、福祉デザインや壁画などの物のデザインやアート。触覚でヒーリングを感じるといえば、ぬいぐるみやワークショップなど。というように、一口に「ヒーリング」と言っても、各テーマはもちろん、表現方法やイメージなども様々で、決して限られることのない演出ができて、いろいろな可能性を秘めているものだと私は思っています。もしかしたら、今迄は思ってもみなかったことが「ヒーリング」というくくりになるかもしれないし、ヒーリングを表現する側としてはとてもこの先の研究、表現が楽しみなテーマです。
今後の制作活動では「ヒーリング」を目的に作る作品はもちろん、自主制作でも「相手がこの作品を見てどう思い、何を感じるか」を考えたものづくりをしていきたいです。
相手があってこそのヒーリング表現なので、私が思うのは、自分がどれだけ第三者の事を「考え」、「想える」かが、ヒーリング表現の第一歩ではないかと思います。